《 ひまわり(15本) 》

画寸 60 x 46 cm (フレームは含まない) 〈原画同比率〉

油絵用キャンバスに 【高精細デジタルプリント】 で原画の持つ微妙な色彩と質感を再現した高品質な複製画です。
複製に使用するマスター画像はこの作品を所蔵している美術館、または版権所有者からの最高品位のものです。
作品表面は紫外線対策コーティングされていますのでいつまでも色褪せません。

《 ひまわり(15本) 》

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54,000円 (税込)

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1888年 キャンバスに油彩 オリジナル・サイズ:100.5 x 76.5 cm 東京、損保ジャパン東郷青児美術館蔵


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 (左はエルミタージュ・ゴールド)

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フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh, 1853年3月30日 - 1890年7月29日)

オランダ南部のベルギーとの国境に近い町ズンデルトに生まれる。祖父、父共に牧師だった。次男で、1852年に生まれ夭折した兄と同じ名前を付けられた。幼い頃から性格は激しく、家族を含め、他人との交流に難を抱えていた。
1869年から美術商として成功していた伯父のグーピル商会に勤め、熱心に働く。また1872年からは兄弟の中でも唯一気の合うテオと文通を始める。この文通は何度か途切れるが、20年に亘って続けられる。商会のロンドンやパリの支店に勤めるが、失恋により美術商への熱意を失う。あまりに悪い勤務態度だったので1876年に商会を退職させられる。
牧師を目指し貧しい人々のために自分も貧民のような身形で献身的に活動を行うものの、あまりにみすぼらしい有様が牧師らしくないと言われ、1879年に伝道師の仮免許を剥奪される。しばらく炭坑に留まり伝道の補助を行う。
1880年に画家となることを決心し、ブリュッセルでデッサンの勉強を始める。1881年に実家に戻り、両親と暮らし始める。自宅に画室を作り、義理の従兄弟である画家アントン・モーヴにも指導を受ける。
1885年に実家を離れ、アントウェルペンの美術学校で学んだ後、1886年にパリに移住する。パリでは、フェルナン・コルモンの画塾で学び、同塾生であったロートレックやエミール・ベルナール等と知り合った。特にロートレックはゴッホを理解し交流した数少ない人であった。

1888年にゴーギャンと南フランスのアルルで共同生活をする(他に十数人の画家の仲間達を招待していたが、来たのはゴーギャンだけだった)。しかし不和となり、ゴーギャンに「自画像の耳の形がおかしい」と言われると、自分の左の耳たぶを切り取り、女友達に送り付けるなど奇行が目立ち、サン=レミ=ド=プロヴァンスの精神科病院に入院する(この事件に関して、ゴーギャンが剣でゴッホの耳を切り落とした可能性があるという新説を2009年にドイツ人の歴史家が唱えた。)
1890年7月27日にパリ郊外のオーヴェル・シュル・オワーズで猟銃(リボルバーという説もある)の弾を腹部に受け、2日後に死亡した。37歳没。死ぬ前日にはテオに自分の芸術論等などを滔滔と話していたという。
なお死因は一般には自殺と言われているが、自殺するには難しい銃身の長い猟銃を用いたことや、右利きにもかかわらず左脇腹から垂直に内臓を貫いていることから、他殺説を唱える者もいる。

ゴッホの作品は、初期の段階を除けば、印象派を出発点としている。また、浮世絵の特徴である明快な色使い、影の無い世界にも大きな影響を受けた。即ち、戸外での制作、明るい画面、筆触分割等々といった特色である。しかしながら、印象派の画家達の筆触が視覚混合を狙う為比較的細かなものであるのに対し、ゴッホは時代が下ると共に筆触は長く伸び、うねり、表現主義的である。また印象派の視覚分割に於ける色彩の選択が科学的な知識を基本とするのに対し、ゴッホのそれは主観的・また時に象徴主義的である。強い輪郭線、色面による構成、人物の戯画的なデフォルメ等も、印象派とは異質のものである。
また、印象派は自然主義を基本とするが、ゴッホの絵画は単なる現象の写しを離れ、しばしば象徴主義的である。この傾向は特に後期に著しい。印象派が太陽の照らす戸外を描くのに対し、彼は夜をも描く。また、憂鬱な人間と社会、更には神的な世界をも描いたが、この態度は印象派と決定的に異なる。

ゴッホが日本において知られるようになったのは、1911年に武者小路実篤が文芸誌『白樺』において紹介したのが最初と言われる。1919年には山本顧彌太が『ひまわり』を購入し、日本に持ち込んでいる。戦後は劇作品で劇団民藝代表の滝沢修が、1951年から生涯にわたり公演した『炎の人 ヴァン・ゴッホの生涯』(三好十郎脚本)の影響も大きい。
1996年、ゴッホの生涯を、単独の漫画で初めて紹介した『ゴッホ−太陽を愛した「ひまわり」の画家』(小学館版学習まんが人物館)が発売された。

ゴッホ作品の高騰

ゴッホは画家としての活動が約10年間と短く、絶対数としては油彩900点、素描1100点があると言われるが、傑作とされる作品はほとんどが晩年の約2年半(1888年2月から1890年7月)に制作されたものであり、知名度に比して(傑作・良作とされる)作品数は少ない。
1987年に安田火災海上(現損保ジャパン)は『ひまわり』を約58億円で落札し、話題を呼んだ。現在は損保ジャパン東郷青児美術館が所蔵する。また、代表作の一つ『医師ガシェの肖像』は、テオの未亡人ヨハンナによって、1898年頃、デンマークのコレクターにわずか300フランで売却されたと伝えられている。1990年5月15日にニューヨークのクリスティーズでの競売で、8250万ドル(当時のレートで約124億5000万円)で齊藤了英に競り落とされ、日本人による高額落札として話題となった。2010年現在でもゴッホ作品の最高落札額である。近年では2006年に『アルルの女(ジヌー夫人)』が4033万ドルで落札されている。

映画
『ヴァン・ゴッホ』 Van Gogh (1948)
監督:アラン・レネ。フランスの短編映画。日本では劇場未公開。
『炎の人ゴッホ』 Lust for Life (1955)
監督:ヴィンセント・ミネリ、出演:カーク・ダグラス。アメリカ映画。ゴッホの伝記映画の中では最も有名な作品で、「周囲の無理解にもかかわらず情熱をもって独自の芸術を追求した狂気の天才画家」という通俗的なゴッホのイメージを定着させるのに決定的な役割を果たした。原作はアーヴィング・ストーン『炎の人ゴッホ』(新版・中公文庫)
『ゴッホ』 Vincent & Theo (1990)
監督:ロバート・アルトマン、出演:ティム・ロス。神話化されたゴッホの物語の脱構築を目指した作品で、いくぶん脚色されているとはいえ比較的史実に近い。画家は(他の作品に比べれば)感情を抑えた冷静で分析的な性格として描かれている。原題が示すように弟のテオにもスポットが当てられている。
『夢』 Dreams (1990)
監督:黒澤明。エピソードの1つに、ゴッホの絵画世界の中に入り込んでしまう夢話がある。ゴッホを演じたのは映画監督のマーティン・スコセッシ。「太陽が絵を描けと僕を脅迫する」という言葉はこの映画におけるセリフである。(ウィキペディアよりの引用を含む)

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