四季1897年

画寸 43 x 60 cm (フレームは含まない) 〈原画同寸〉

油絵用キャンバスに 【高精細デジタルプリント】 で原画の持つ色彩を再現した高品質な複製画です。
複製に使用するマスター画像はこの作品を所蔵している美術館、または版権所有者からの最高品位のものです。
耐光性に優れた顔料インクを使用しています。

四季1897年

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1897年 オリジナル・サイズ:43 x 60 cm イワン・レンドル・コレクション


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モマ・ブラック モマ・ゴールド パレス・ホワイト シャトー・ブラン ウフィッツィ・ブラック
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ユーロ・ブラウン《ライト》 ユーロ・ブラウン《ダーク》

アルフォンス・マリア・ミュシャ(アルフォンス・マリア・ムハ、1860年7月24日 - 1939年7月14日)

アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。「ミュシャ」という表記はフランス語の発音によるものであり、チェコ語の発音を日本語表記すると「ムハ」または「ムッハ」となる。
多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。代表作として『ジスモンダ』、『黄道12宮』、『4芸術(詩、ダンス、絵画、音楽)』等が挙げられる。

オーストリア帝国のモラヴィア(現代のチェコ)イヴァンチツェに生まれた。ブルノ中学校に入り教会の聖歌隊となった。夏休みに合唱隊の聖歌集の表紙を描くなど絵を得意とした。中学校を中退、地方裁判所で働く。19歳でウィーンに行き舞台装置工房で働きながら夜間のデッサン学校に通う。2年後失業。1883年ミクロフでクーエン・ブラシ伯爵に会い、その弟のエゴン伯爵がパトロンとなる。25歳の時エゴン伯爵の援助でミュンヘン美術院入学、卒業し、28歳のときパリにてアカデミー・ジュリアンで美術を学んだ。
彼の出世作は1895年、舞台女優サラ・ベルナールの芝居の為に作成した「ジスモンダ」のポスターである。威厳に満ちた人物と、細部にわたる繊細な装飾からなるこの作品は、当時のパリにおいて大好評を博し、一夜にして彼のアール・ヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものとした。またサラ・ベルナールにとっても、この「ジスモンダ」が、フランス演劇界の女王として君臨するきっかけとなった。その後もミュシャは「椿姫」、「メディア」、「ラ・プリュム」、「トスカ」など、サラ・ベルナールのポスターを制作している。サラ・ベルナールの他、煙草用巻紙(JOB社)、シャンパン(モエ・エ・シャンドン社)、自転車(ウェイバリー自転車)などの多くのポスターの制作を行っている。これらは女性と様式化された装飾の組み合わせが特徴的である。
ポスターに並び、装飾パネルも数多く手がけている。2点ないし4点のセットの連作が多く、いずれも女性の姿を用いて様々な寓意を表現している。代表的な作品には以下の様なものがある。

『ビザンティン風の頭部』-「ブルネット」、「ブロンド」;(1897年)
『四芸術』-「詩」、「ダンス」、「絵画」、「音楽」;(1898年)
『四つの宝石』-「アメジスト」、「エメラルド」、「トパーズ」、「ルビー」;(1900年)
『四つの星』-「明けの明星」、「北極星」、「宵の明星」、「月」;(1902年)

また、忘れてはならないのが挿画本分野の作品である。 パリでの初期苦闘時代、ミュシャは雑誌の挿絵によって生計を立てていたが、次第に認められ、パリの大出版社、アルマン・コランの挿画家として活躍する様になる。東洋的な情景をドラマチックに描き、高い評価を得た「白い象の伝説」、33点の木版画が挿入され、挿画家としての名声を高めた「ドイツ歴史の諸場面とエピソード」も、同社から出版された作品である。 代表的な作品には、年代順に以下のものがある。

『白い象の伝説』(1894年) 木版画
『ドイツ歴史の諸場面とエピソード』(1896年)木版画
『トリポリの姫君イルゼ』(1897年) リトグラフ
『アダミテ』(1897年) 木版画/フォトレリーフプリント
『ラマ』(1898年) リトグラフ
『主の祈り』(1899年) リトグラフ/版画集
『クリオ』(1900年) リトグラフ
『UTOK MORE』(1922年) プリント
『ANDELICEK Z BAROKU』(1929年) プリント/サイン入200部有

宗教的思想に裏付けられた文学的解釈、それを美へと昇華する芸術力。挿画本分野において、ミュシャは独自の、そして輝かしい業績を残している。商業的に成功を収め、財政的な心配のなくなったミュシャは1910年、故国であるチェコに帰国し、20点の絵画から成る連作「スラブ叙事詩」を制作する。この一連の作品はスラブ民族の歴史を描いたものである。スメタナの組曲『わが祖国』を聴いた事で、構想を抱いたといわれ、完成まで20年を要している。また、この時期にはチェコ人の愛国心を喚起する多くの作品群やプラハ市庁舎のホール装飾等を手がけている。1918年にハプスブルク家が支配するオーストリア帝国が崩壊し、チェコスロバキア共和国が成立すると、新国家の為に紙幣や切手、国章などのデザインを行った。財政難の新しい共和国の為にデザインは無報酬で請け負ったという。
1939年3月、ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体された。プラハに入城したドイツ軍によりミュシャは逮捕された。「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」という理由からだった。ナチスはミュシャを厳しく尋問し、またそれは79歳の老体には耐えられないものであった。その後ミュシャは釈放されたが、4ヶ月後に体調を崩し、祖国の解放を知らないまま生涯を閉じた。遺体はヴィシェフラット民族墓地に埋葬された(現在はヤンとラファエルのクベリーク親子と同じ墓石に埋葬されている。
戦後、祖国は独立を果たしたが、共産党政権は愛国心との結びつきを警戒し、ミュシャの存在を黙殺した。しかし、民衆レベルでミュシャへの敬愛は生き続け、プラハの春翌年の1969年には、ミュシャの絵画切手数種が制作されている。また世界的にも、1960年代以降のアールヌーボー再評価とともに、改めて高い評価を受けている。
プラハ聖ヴィート大聖堂ステンドグラスミュシャの挿絵やイラストが、明治時代の文学雑誌『明星』において、挿絵を担当した藤島武二により盛んに模倣された。

ミュシャの有力コレクションの一つは日本にある。堺市が所有し、堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館で一部が展示されている「ドイ・コレクション」である。「カメラのドイ」の創業者である土居君雄が、ミュシャの知名度がさほど無かった頃から個人的に気に入り、本業の商品の買い付けや商談の為に渡欧する度に買い集めた。また、ミュシャ子息のジリ・ミュシャとも親交を結び、彼の仲介によってコレクションの中核が築かれた。1989年には、土居にチェコ文化交流最高勲章が授与されている。土居が1990年に他界すると遺族は、コレクションが散逸してしまうのを憂慮して「相続放棄 →自治体に寄贈」という方法を選択。1993年、土居夫妻が新婚時代に居住した事のある堺市に寄贈された様である。
東京都美術館などで、大規模なミュシャ展が開催された2005年前後から、絵画商法での取り扱いが大幅に増えた。それらの展示会で販売されるリ・クリエーションなどと呼ばれる模作品については、消費者問題化している。(ウィキペディア)

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